ワケありのお弁当

朝、ではなくて、少し寝すぎて昼に起きて、30分くらいぼーっとしていると、母に「お父さんのお弁当食べる?」と言われた。父は連休関係なく働いていて、なぜだかワケありで弁当を置いて行ってしまったらしい。お腹もちょうど空いていたので、食べる、と返事をした。

バッグもそのままに置いて行かれた弁当箱のフタを開ける。弁当を食べるのなんていつ以来かなあ。たぶん高校以来。高校生のときはお弁当を食べるのが唯一の楽しみだった。高校時代は相談室に通っていて、そこでお昼を食べたものだ。お昼の時間、一人で弁当を食べるときだけが唯一リラックスができた。冷めすぎてヒエヒエになった弁当が好きで好きで。梅干しが嫌いなので代わりにシソとか塩昆布を入れてもらって、そのエキスが滲み出たヒエヒエの白米を食べるのが大好きだった。

たまに、クラスの子にお弁当一緒に食べない?と言われても応じたことはなかったな…。

そんなことを色々思い出してしまった。弁当ひとつに色々あるもんだなあ、なんて考えていると、母がお盆を出してその上にお弁当を置いてくれた。父のお弁当は全体の容量が大きく、自分が食べていたひよっ子クラスの弁当よりもボリュームがあった。梅干しの日の丸ごはんに、3種類のおかず、レトルトのチゲの春雨スープ、りんごとトマト、黒豆。驚いたのが、最近のお弁当箱は保熱ができるようになっているので、ヒエヒエにならないのである。それどころかホッカホカであった。そういえば、保熱ができる弁当箱を家族で買いに行った記憶があるのに、今の今まですっかり忘れていた。

お弁当箱を全部開けると、白米のボリュームが特にすごい。成人男性の量なので自分一人では食べきれない。おかずから順に食べて、チゲスープを飲みつつ白米を食べる。おいしい。おかずは普段家で食べているのとさして変わらないのに、弁当箱に入るとどうしてこうも印象が違うのか。「お弁当」という言葉が、特別なパッケージングをしているのか。

最近あんまり食の楽しみを感じなくなって、作業みたいにごはんを食べていた。とりあえずお腹が空いたから、体調が悪くなると困るから…。全部そんなふうだった。それが、お弁当を食べていると、自然にガツガツと食べてしまうし、全身の細胞が活性化されたかのようにイキイキとしてきて、最近あんまり感じていなかった感覚だった。自分の胃腸からは、「もっとよこせ!」と言っているのか、それとも起きていきなりお弁当をぶち込まれてびっくりしたのか、聞いたことのない音が鳴りだした。

お昼にお弁当を食べることがこんなにワクワクする行為だったのを久しぶりに思い出して、次に回想したのはバイト先のまかないランチの記憶だった。作業で脳の糖を使い果たしてヘトヘトになったころ、ちょうど12時半くらいを過ぎてお昼のことしか考えられなくなり、今日のメニューはなんだったっけ、確かあれだったはずだ、と思い出しながら、大行列に並んでいた記憶。疲れたとき、しんどいときにおいしいごはんが出てくるのは全然当たり前ではないんだ、というのは、ここ1年くらいでずっと思っていることである。

ボリュームのある白米の山を崩しにかかるように食べていたところで、胃腸が音を上げた。あまり量を食べなくなってから胃腸が小さくなった気がする。もともと大きいほうでもないけれど。お腹がパンパンになってきたので、申し訳ないけれど残すことにした。ここで、2月に京都で親子丼を注文したとき、全く食べられず鶏に謝りたくなった気持ちが蘇ってきた。ああ、いつかリベンジがしたい。

久々にしっかりと食べた気がして、体の血がきれいになったような感覚がした。食事って、本来はこういうものだよなあ。栄養を吸収するためではあるけど、それだと楽しみがない。

最近「お弁当箱のうた」という曲をみんなのうたで聞いて、懐かしい気持ちになっていたのでタイムリーだった。たまにはお弁当、いいかもしれない。自分一人で作ったことはないから、今度作ってみようかな。

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食べ物の写真を撮るのは上手くないです。