学んだこと

病気になってからというもの、人間の体ってなんて難しいのだろう、と思うようになった。自分が望んで生まれ持ったわけではない体を、自分がメンテナンスして生きていかなければならないだなんて、不条理だとすら思う。こういうことを書くと、この世に生まれたことを後悔している、みたいな、破滅的なニュアンスになりかねないけど、そうではない。ただ、取扱説明書もない、医学によってだんだんと解き明かされていくことでしか理解できない人体を、どうやったら上手く扱えるのか分からないまま、手探りで毎日死ぬまで自分の体と向き合わなければいけないというのはすごく面倒なことで、この世はファンタジーの世界のようだ、と思う。

最近は、若いということが辛い。若いといってもめちゃくちゃ若いわけではないけど、世間から見たらそれなりに若い年齢だということが辛い。老いるのが嫌なわけではないけど、若いうちにしか出来ないことは色々とあるはずで、自分なりに何歳になったらどうなっていたいか、という理想は昔から持っていたので、それが出来ない環境にあるという現実は、それなりに心身に堪える。一人で出来ることなんていくらでもあるし、希望だって持とうと思えばいくらでも持てるけれど、自分の中では、20代のうちは外で働いて、自分では自覚できない、足りない部分を他者に評価されることによって補っていきたいと思っていたので、何もしなくても勝手に奪われていく、今しかない若さを棒に振って病気と向き合わざるを得ない、というこの現実は辛い。人間、生きていればいつ病気をしてもおかしくないけれど、せめてもう少しタイミングをずらして来てくれればよかったのに、という思いでいっぱいである。けれど、ペース配分を誤って体を壊してしまったのは自分自身で、そういう点も含めて、やっぱり不条理だと思う。

とまあ、時間があればこんなことを考えてしまうわけだけど、こういう考え方をしていても何の救いにもならない。救いがあるとすれば、ペース配分を自分の体から教えてもらったこと。気持ちだけではどうにもならないし、体はいつでも正常なわけではない、という、当たり前のようでそうではないことを教えてくれたと思う。今までどうにかなっていたのはたまたまで、気合や根性でどうにかなってくれるわけでもなく*1、壊れるときは壊れるということを、誰から教えられたわけでもなく、自分の体から身を持って教わったという経験は大きいし、この考え方は今後の人生に少なからず影響していくと思う。

自分はめちゃくちゃアンラッキーな人間ではないけれど、ハッピーな人間でもない。どちらかといえばその中間だと思う。中間というのは都合がいいので、どちらにも寄ることができる。ならば、今から少しでもハッピーな方に進んでいこうじゃないか、というのが昨年から考えて行き着いた結論である。

なんだか同じようなことばかり書いている気がするけれど、振り返って一つずつ読むと、言葉は似ているけれど少しずつ感情は違っていて、それが日記のおもしろいところだなあ、と思う。

*1:ただ、感情の扱い方次第で体を変えることはできると思っている