裏切りの朝

数日前、自分の住んでいる地域の天気予報を見ていると、木曜日の最低気温が−12℃になっていて、今まで見たこともない数字に驚いた。−12℃なんて、国内だと北海道でくらいしか見たことのない数字だ。ここは京都の山奥なのに、いくら今年の冬が寒いからといって、一夜にして数字で北海道と並んでしまうなんて、そんなことがあるものか、と思った。

それからというもの、来たるべき木曜日に備えて、ネットで様々な情報を調べた。木曜日は、いつも用事があって早起きをしなくてはならない日なので、用意周到なまでに対策をしようと思った。調べたキーワードは「−10℃ 寒さ」とか「−10℃ 対策」だとかだ。出てくるのは北海道の人が書いた防寒対策や、世界の寒い地域の最低気温のまとめとか、そんな情報だった。それを片っ端から見ては震え上がっていた。「−20℃とかだと、寒いというより痛いですよ!睫毛も凍ります」というような体験談を見て、自分の知らない地域では、そんな世界が当たり前のようにあるのか…と愕然とした。

そして昨日の夜。たまたま夜に外出をしていたのだけど、あたり一面が霧に覆われて、さながらサイレント・ヒルのような光景が広がっていた。「いよいよ、シベリアの夜が来るんだ…」と思いながら、帰路に着き、いつもと同じように布団に入った。

布団に入っても、気になるのは気温のことばかりで、こまめに天気予報アプリの予想気温とアメダスをチェックしていた。ほんとに−12℃にまで下がるのだろうか。下がったら、いったいどんな光景が広がっているのだろうか。いきなりの寒さに、心臓に負担がかかりやしないだろうか。そのことで頭がいっぱいだった。だけど、そのとき見たアメダスの気温と予想気温に、かなりの差があることに少し気づきはじめていた。

異常な緊張から来る不眠から目を覚まし、布団から起き上がる。外はいったいどうなっているのだろうか。用事を済ますために、この2日間ネットで調べた万全の対策を参考にして防寒をした。「耳はしっかり守っておいたほうがいい」「素手だと凍る」「顔をそのまま出すと鼻がもげそうになる」など。とにかく未知の世界なので、念には念を入れた。

そしていざ、外へ足を踏み出した。顔がビリビリと冷たくなるような寒さ…のはずが、特に際立った冷気は感じない。道は凍ってツルツルのはずが、特段凍ってはいない。川はさながらスケートリンクのようになっているはずが、鷺が悠長に泳いでいる。目の前を通るおじいちゃんは犬の散歩をしている。犬は楽しそうである。

これはいつもとごくごく変わらない、日常の風景のはずだ。

一体全体、どういうことなのか。玄関のドアを開けて想像したのは、地の果てのような、未知の世界観だった。冷気に包まれ、冷気に支配された土地。それが、起きてみたら、なんらいつもと変わりやしない普通の朝だった。

前日の、あたかも何かが起こりそうな、サイレント・ヒルのような風景はなんだったのか。やっぱり北国でもないし、−12℃になんてなるはずがなかったんだ。ガッカリしたような、でも未知の世界ではなくて安心したような、複雑な気持ちに包まれながら用事を済ませた。

シベリアの夜も、朝も来なかった。なんだかなあ、でもやっぱり、普通が一番なのかなあ、と思いながら。用意周到なまでに準備した防寒対策の情報も、いつか役に立つかもしれない。そう思いながら、家の中へ入ったのだった。