うれしい日

新年初の通院のために、京都に行ってきた。少しブランクが空いてしまったのは、スケジュールの都合とかもあるけど、なんとなく気が落ちてしまって、病院に行く気になれなかった。たぶん、病気の症状と向き合うのに疲れてしまっていたんだと思う。冬だし、ちょっとしたうつ気分みたいになっていたのかもしれない。それでも、病院に行かないといつまでもこのままだし、悪くはなるけど良くはならないと思って、重い腰を上げて行くことにした。

偶然乗れた、特急「丹後の海」に揺られて1時間。「丹後の海」は天橋立に行ったときに乗ったこともあり、思い出深い列車だ。出発するとき、外は雪景色だったのが、京都に近づくにつれてみるみる雪がなくなっていくのが見えた。久しぶりに乗った電車は、生き地獄みたいなつらさがあった。やっぱり、外に出ないとダメだなあなんて思いながら、ひたすら耐えていた。それでも、暖かな木目調の内装を見ていたら、少しずつ気分が穏やかになっていく気がした。

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通院の前に、人と会う約束をしていた。元バイト先の人と。いまはいったんアルバイトを退職しているので、こういう表現になる。前々から京都市内に来たら会いましょうと声をかけてもらっていた。丸太町に行く前に、烏丸御池で降りる。もう幾度となく乗り降りをして、家みたいになっている場所だ。どれだけ体調が悪くても、不思議とここに来ると緊張しない。もう何度も言っているけれど、人間の慣れという力はすごい。

その後、コンビニで合流して、久しぶりに挨拶をした。たぶん1年ぶりくらいだと思うのだけれど、顔を合わせてもまったく緊張しなかった。まったくといえば嘘になるかもしれない。少しは緊張していた。その後、アルバイトとして入社してすぐに連れて行ってもらった、思い出深いお店へ向かった。席は当時と違ったけど、懐かしさがあった。

ごはんを食べながら近況を話す。箸はあまり進まない。もともと人前でごはんを食べることが苦手で、高校時代は友達の前で米一粒を口に入れることがやっとなくらい苦手な時期があった。会社で1年かけて慣れたはずのテクニックが、1年経って元に戻ってしまっていた。習慣は続けないと消えるのだな、と身に沁みて実感した。

その一方で、口はよく動いた。話したいことが溜まっていたのか、久しぶりで遠慮があまりなくなっていたのか、1対1だから話しやすかったからなのか、会話を上手に進めてもらったからなのかは分からないけど、やたらスムーズだった。話すことは一番の苦手で、今までは言葉一つ選んでいる間に会話が流れたり、自分が発した言葉にいちいち後悔したり、そういう失敗体験ばかりでぎこちなかったのだけれど、今日は川の水が流れるように流暢に会話を進めることができた。もしかして、話すことってそんなに苦手でもないんじゃない?と思いはじめてきた。たまたまなのかもしれないけど。

注文した親子丼が思ったより胃に入らず、もったいなさすぎて本当に申し訳なかったのだけど、その後病院に向かう予定もあったので泣く泣く残させていただいた。こんな胃袋の狭い人間に選ばれた鶏肉がかわいそうな気がした。

その後、店を出てお互いに別れて、自分は病院へ向かった。久しぶりに人と会って話すことができた充実感と、ひとつ課題をクリアできたような達成感があった。話している間は病気のことを忘れられて、こんな瞬間があるのなら全然まだまだ生きていけるな、と思った。病気だから人と会って話すことは難しい、と勝手に自分の中で思っていた。チャレンジしないと分からないことがある。

病院では、先生に「分からないこととかがあったらメールしてよ、来るの遠いんだから」と言ってもらえて、嬉しくて、ホッとした気分で病院を出て、帰りに丸太町の路地裏の写真を撮った。写真を撮った瞬間、目の前の女の人と目が合って、その人も、街の写真を撮っているようだった。

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今日はなんだかうれしいことがある日だなあ、と思った。そんな気分で久しぶりに立ち寄った京都駅で京都タワーを見上げたら、なんだかすごく清々しかった。レタッチも清々しい感じにしてみました。

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その時、その時に感じた感情を大切にしながら生きていきたいなあ、と心から思った。心からうれしいと思える日が来ることもあるんだよ、という記録を残しておきたい。これだから、人生は捨てたもんじゃないんだなあ。