また一から

2月に入る前からなんとなく調子が悪く、そのままずるずると2月の中旬まで来てしまった。ここ数ヶ月はだいぶ発作に対して慣れてきて、冷静に受け流せるようになってきていたので、それに伴って深刻な発作の頻度は減っていた。それなのに、ふとしたきっかけでまた発作を「怖い」と思ってしまって、そこから調子が崩れはじめてしまった。

パニック発作を起こしたとき、「怖い」だとか、「不安だ」だとかいうふうに感じると、余計に悪化する。なぜなら、本来不安や恐怖と感じるべきでない状態に対して、脳がそう感じるように誤作動を起こしているからだ。本来不安でないはずのシチュエーションに不安を感じて発作を起こしたとき、それに対して「怖い」と思うと症状はどんどん悪くなっていき、急にジェットコースターの頂点から真っ逆さまに落ちるような体験が始まってしまう。偽の恐怖が本物の恐怖にすり替わってしまう感じだ。そうならないために、一年かけて発作の際に覚えた対処法は「動じない」ことだった。たとえ実際に動悸が起きていても、窒息しそうな息苦しさがあっても、冷静に受け流す。そうすることで発作に対して過剰に反応しなくなり、必要以上にダメージを受けなくて済む。この対処法で今までなんとかやってきたのだ。

それなのに、ここ最近は病気になったばかりのころと同じように、発作が起きることを過剰に怖がってしまうようになり、どうしたものかと思った。怖がれば怖がるほど、日常生活がまともに送れなくなってしまう。発作を起こすタイミングがシチュエーションや場所を選ばなくなる。車の中で、家で、食事中で。困ったものである。

ただ、なんとなく冷静に対処できるコツはもう掴んでいるので、またそれを実践しようと思った。車の中で、ああこれは来そうだな、と思ったとき、「無になる」ことをイメージした。怖くない、不安ではない、すぐに収まる、死なない。これらを全てひっくるめて「無になる」というイメージ。ネガテイブに考えることをやめて、別のなにかに集中する。動悸や息苦しさは実際にあったものの、精神的には特にダメージなくやり過ごすことができた。ここでそのまま恐怖の波に溺れてしまうと、もっと苦しい体験をすることになる。

対処法を実践して効果を感じたことによって、また一から、今まで覚えてきたことをやっていけばいいのではないかな、と思ったら、スッと気持ちが楽になり、不安も少し減った気がする。体の扱い方は自分でコントロールできるし、もうゼロからのスタートではないのだ。去年、不安だったときにずっと聴いていた嵐の「Daylight」の歌詞を思い出した。

誰もが同じ悔しさで 夢の終わりを認めないように
明日はそう 違う自分と 歩いていくから
痛みを抱いて優しさに変えて たとえ胸が張り裂けても
君はもう 自分知っている 歩き出せばほら見えてくる

Daylight - 嵐 - 歌詞 : 歌ネット

自分を知っているから大丈夫だ、と思えるようになったことが、一年の成長なのかもしれない。まだまだ完璧ではないけれど、少しは強くなれたのかな。