不安の出口

昨日、トリミングに行った飼い犬が様子がおかしくなって帰ってきた。いつもはテンションが高くて、とにかく元気な犬なのだけど、なんだか覇気がなく、おもちゃで遊ぼうともしなくて、まあ疲れてるのだろう、と思っていたのだけど、夜中に理由もなく嘔吐して、ちょっと変だなと思った。

朝起きると、疲れているのではなくて、何かしきりに怖がっている様子だった。ペットサロンで何か怖いことがあったのか、喋ってくれないので分からないけど、いつもと態度が違うし、膝に飛び乗ってきて震えていた。ご飯も食べようとしないし、水も飲まないし、トイレもしない。トイレがあるケージに入れようとすると「怖い!」と言わんばかりに飛び出てきて、抱きついてくるのである。

その様子をずっと見ていて、なんだか自分みたいだなあと思った。自分の場合は、パニック発作という事象を避けようとするために、スーパーに入ろうとしても、そこが一度発作を起こした場所であると怖くなって引き返してしまったり、酷いときは店のトイレにも入れなかったし、コンビニのレジに並ぶだけでダメだった。一度怖い!と思ってしまったらなかなか上書きができなくて、今もまだ奮闘している最中ではあるのだけれど、なかなか大変である。

犬を見ていると、種族が違うだけで不安を感じたり恐怖を感じたりする原因は同じなんだなあ、と感じてしまった。でもさすがにトイレはしてくれないと困るしどうしよう、と思っていたのだけれど、とにかく一緒にそばにいたり、もう怖いことはないから大丈夫だよ、と声をかけたり、ご飯がダメならおやつを少し与えてみたり、ということを家族ぐるみでしてみた結果、少しずつ緊張が解けていったのか、おやつにご飯を混ぜたら食べるようになり、ご飯を食べたら水を飲んでくれた。タイミングを見計らって、トイレに案内したら、ゆっくりと確認して、無事トイレをしてくれた。よく動物番組なんかである、人間不信になった犬をゆっくり時間をかけて安心させていくシーンを思い出した。

まるで自分の縮図を見ているようである。不安は長く続くものではないし、不安の出口は必ずある。発作は必ず起きるわけでもないし、起きる!と思っても起きなかったケースもいくつかあって、その記憶をポジティブな方向に信じて自分で行動を積み重ねていけば、少しずつ行動範囲は広がっていく。逆に、ネガティブな方向に信じれば、行動はネガティブに積み重なっていく。単純なことなんだけど、感情がある限り、理屈ベースで行動をしていくのは難しい。

これは少し違う話になるけれど、欅坂46の平手友梨奈さんが、ここ最近体調が悪いのかツアーでも笑顔が少なく、アンコールで退場してしまうなどの状態が続いていたのでファンが心配していたのだけれど、メンバーがサプライズで、とある曲で平手さんに全員で抱きつくように計画をしたそうである。それを本番で実行した結果、平手さんに少し笑顔が戻って、アンコールも少し出られるようになり、出演したROCK IN JAPANというフェスでは少し調子が戻っていたらしい。「安心の積み重ね」が不安の解消には一番大事で、そういった場所を作ってあげることも大事なのだと思う。

はいじゃあ糸口が掴めましたね、病気は治りますね、という話ではないけれど、少し不安の出口が見えた気がした。不安に負けない自分を少しずつ作っていきたい。

前髪

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好きなアイドルグループに「アイドルネッサンス」というグループがある。世代を超えた名曲たちをカヴァーする、基本的には持ち歌のないグループだったのだけど、今日オリジナル曲が4曲収録されたアルバムをリリースしている。「前髪がゆれる」というアルバムで、全曲をBase Ball Bearの小出祐介さんが制作している。

5月ごろに、1曲目である「交感ノート」のMVが公開されて、それだけでグッと期待が高まる完成度だったのだけど、7月下旬に公開された「前髪」を聴いて、たまらない気持ちになった。どんな言葉を使ってもこの曲を聴いた時の感情を表せない気がする。あえて言うなら、「青春」が全て詰まっている、そんな曲だと思う。 

まずイントロで心をわし掴みにされるのだけれど、歌詞もすごい。ずっとわし掴みにされたまま、なかなか離してくれない感じ。「青春」を形にしたらこんな感じなんだろうな、というようなフレーズが並んでいる。最初に聴いたときから曲に入り込んでしまって、もう50回近く聴いているのだけど聴くたびに涙ぐんでいる。

たくさん撮ってた写真 指すべらせたら
広がる何でもない特別な景色
戻れないトンネルの向こうを思うよ

この部分とかは、共感しすぎてしまう。去年の夏の写真とかを見ていたら、現実になかなか戻れなくなってしまう。

ライブ動画を見ると、歌い出しで感情が入り込みすぎて泣き出すメンバーの姿が映し出されていて、これはこれで見ていてたまらなくなる。

外を歩いていて、どんな風景を見てもこの曲がついて回ってきて、きっと今年の夏はこの曲を聴いて終わるんだろうな、という確信を持っている。来年あたりに今年の8月を振り返ったときに、思い出される曲になりそうだなあ、と思う。

今年の夏、この曲を聴いて夏を過ごす人が増えたらいいな、という気持ちでいっぱいです。

前髪

前髪

 

変化を望む

ここ最近、精神的に不安定だなあ、と思う。こんな病気にかかってるんだから、別に安定しているわけではないんだけど、波が激しいというか、去年の冬頃にちょっと似てる。ただ、冬頃のような救いようのない絶望感とかはあんまりない。鬱状態というわけでもない。意欲はある。ただ気力がない。

自分の中で蓄積された問題が山積みになってくると、ストレスは溜まっていくらしい。自分の楽な時間に起きて、できる範囲でデザインをして、ご飯を食べて、という生活を送っていても、ストレスは溜まっている。目に見える形じゃないんだなあと思わされる。そのストレスが最近、涙という形になって表れる。泣くと家族を困らせてしまうんだけど、正直に言って溜まったストレスが発作で発散されるよりは、涙になって流れてしまう方が精神的には楽である。泣いたあとはなぜか安心するし。

薬を飲もうか飲まないか、ずっと悩んでいるのだけれど、現状が別に楽なわけではないし、色々と積み重なってきている気がするので、少しでも楽になるなら薬を飲んで治すことも考えようと思う。パニック障害の薬には依存性がないらしいので、別になにも我慢することはない。

骨折している人に、何も処置をしないで歩け、という人はいないと思う。目に見えないからつい我慢してしまいがちだけど、少しでも自分が楽になることを考え始めてもいいかな、と思った。厳しくしているわけではないのだけど、適切に甘やかしていきたい。

カメラが届いてから、毎日が楽しい

前回のブログで触れましたが、カメラが届きました。

GXRを使い始めてから、毎日が楽しい。不安なときでも、カメラを見ると安堵するというか、高揚感がある。なんなのだろう、この作用は。不安に駆られて外に出たくない、と思ってしまうときでも、でもカメラで写真を撮りたいから…と、外に出る口実になるのである。不安とカメラを天秤にかけたら、カメラが若干勝ってしまいそうになるときがある。多分、良いことなのだと思う。

写真を載せるブログを始めてから、まじまじと高画質で自分の撮ったものを見て、発見があることも多い。まだ見たことのない景色を見たくなる。見知った地域はもっと知りたくなる。これをきっかけに、自分は知っているけど、他の人にはまだあまり知られていない場所のことを、自分の写真で伝えてみたいな、と思う。

カメラが来て、こんなに毎日が生き生きするとは思っていなかった。きっかけって大事だ。自分ももっと変わっていきたいな。

カメラな日々

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中古のカメラを、知人の方からご厚意で譲っていただいた。RICHO GXR A12 28mmというカメラです。

カメラを譲っていただける、という話になってから、それまで名前を聞いたことがなかったこのカメラのことをとことん調べ尽くした。作例の画像を見てみたり、スペックを見てみたり、気になることなど、ありとあらゆることを調べた。自分が物を購入するときとはまた違った感覚だった。新しいものを購入するときのワクワク感と似ているけれど、少し違う感じ。

今日、カメラが届いて、ワクワクしながら箱を開けた。慎重に実物を触って、電源を入れて、シャッターを切ってみる。ありとあらゆることが新鮮で、こんな体験をさせてもらっていいのだろうか、と思った。

昔から、写真で日常を綴るブログに憧れていたので、このカメラでこれから日常を記録していこう、と思って、写真のブログを作りました。今のブログはどちらかというと文章主体だけど、写真主体のブログがあってもいいかなと思ったので。

写真を撮ることを目的に、外へ出るようになればいいなと思いながら、この夏の記録をいっぱい残そうと、今からワクワクしています。